「仙台教区サポートセンター」は、東日本大震災被災地域の復興支援活動のため、カリタスジャパンの支援を受け、カトリック仙台司教区によって設置されました。支援対象は教会や信徒に限定せず、社会全体を対象としています。

春休みボランティア体験記

いつもご支援ありがとうございます。

5月16日から夏休みの団体ボランティアの受付が始まり、お申し込みが増えてきました。

久しぶりのボランティアさんからのお便りは、春休みに参加してくださった東京の暁星中学・高等学校の生徒さんからお寄せいただきました。昨年の夏に続き2度目のご紹介です。
今回は高校1年生と2年生の生徒さん4人が参加してくださいました。3回に分けてお便りをご紹介します。

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「震災はまだ終わっていないのだな」僕はこう思った。
活動場所へと車で移動している時、津波によって大きな被害を受けた沿岸部の様子を目にすることができた。頑丈そうな道路が津波に持っていかれ、その断面があらわとなっていた。津波の力の凄まじさがとても強く感じられた。
建物などはほとんどなく、むき出しの土がただ盛られているだけだった。僕は最近アスファルト等で舗装されていない土の地面を見る機会がなかったのでその光景は特に印象的だった。震災からもう四年も経っているので、テレビで被災地を紹介されることも少なくなり、何だか自分の中で震災はもう終わっている、復興が進んでいるという勝手な想像をしていたが、実際に目にした風景は想像とはだいぶ違っていた。
仮設住宅に住んでいるおばあちゃんたちの集会のお手伝いをした。仮設住宅は隣の家と壁一枚で接しているため、音が筒抜けで大変らしい。もし自分がそんな環境で暮らすとしたら耐えられないと思う。
だが、おばあちゃんたちは僕が想像していた「被災者」とは違い、とても明るく楽しんでいらっしゃった。そのことに驚いた。
僕は今回のボランティアで沢山の人に「ありがとう」と言われた。それが本当にうれしかった。ボランティアは見返りや利益を求めて行うものではないと思うが、その感謝の言葉は、僕にとって仕事に対する十分に大きな見返りだった。
ボランティアでの生活は自分で考え、自分から行動しなければならなかった。だからこの経験は自分を成長させてくれたと感じている。
実はボランティアに参加するか否かでとても迷ったのだが、結果的に良い決断をしたなと強く思う。
(高2 O.T.)

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どうぞよろしくお願いします。

ボランティアさんからの便り 「こぴっとプロジェクトに参加して」

いつもご支援ありがとうございます。
久しぶりのブログ更新、今回はボランティアさんからのお便りをご紹介します。

山梨地区のカトリック教会では、去年9月に岩手県と宮城県の被災地の合同視察を行い、「被災された方々のことを忘れることなく寄り添っていくことの大切さを強く感じた」ことから、「山梨地区カトリック教会東北被災地支援プロジェクト(こぴっとプロジェクト)」が立ち上げられました。今年1月から、石巻ベースにボランティアを派遣して下さっています。

「こぴっと」とは、山梨のお国言葉で「しっかり」「きちんと」という意味だそうです。朝の連続テレビ小説「花子とアン」でおなじみの方も多いかもしれませんね。ベースでも、山梨からのボランティアさんとスタッフがこのドラマの話からお国言葉の話題になり、元々のプロジェクト名がちょっと長いので、ベースで通称として「こぴっとプロジェクト」と呼んでいたことから、名称として使われることになったそうです。

今回は、こぴっとプロジェクトとして活動に参加されたボランティアさんからのお便りです。

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「こぴっとプロジェクトに参加して」

こぴっとプロジェクト責任者のお二人とともに、カリタス石巻ベースに3泊4日の日程で行ってきました。
片道6時間半、長時間にしてはそれほど疲れを感じなかったのは同行の方のさりげない優しい気配りによるものでした。
石巻ベースに到着し、「こんにちは」、そこにはスタッフみなさんの満面笑顔のお出迎え。
あたかも我が家に戻ってきたかのように感じたのは、私だけではなかったようです。責任者のシスターは開口一番、当プロジェクトの呼び名が“こぴっとプロジェクト”に決まったことを、「短くて呼びやすくなりとてもいいですね」と殊の外喜んで下さいました。
初回の人はスタッフからオリエンテーションを受けることになっています。ボランティアの心得として「共に寄り添う」という精神、人と人のつながり、被災者の方々とゆっくり時を過ごすことを大切にすること等のレクチャーを受けました。
夕方からは一日の振り返り、分かち合いがあり、スタッフ・ボランティア全員が集まって1日の流れにそってその日の活動について感想を述べ合います。

2日目は朝のミーティングで一日の活動分担を確認し合い活動に入りました。私たちはひびき工業団地集会所で、仮設住宅の住民の方々との出会い・交流の場づくりのためのお茶会に参加。途中からボランティア4名は、被災者の語り部Tさんから、大震災当日の様子を生の声で聴かせて頂きました。仮設住宅の方々はその日17名参加され、日ごろはあまり話さない震災当日の想像を絶する津波の凄さについて話して下さいました。またの再会を楽しみにして夕方解散。


仮設住宅で語り部さんのお話しを聞く。

3日目、午前中はベース長の案内で石巻ニューゼを見学。そこでは震災当時の手書き新聞、写真等が展示され、あの日の凄まじい悲惨な姿の映像が再び痛みと悲しみを呼び戻します。
報道部長さんの話では、震災当時は当然ながら三年半経った今また自死する人が増えているとのこと、心のケアがこれからの課題であると話されていました。そのためにも医師やカウンセラーの役割はもちろん関わる人々の依り添いが大切であると言われた言葉が心に残ります。午後は火事で焼失した門脇小学校脇の花壇の整備、草取り。花壇の横道は被災者の方々が散歩や用足しで通りますが、みなさんがシスターに話しかけていきます。シスターはその都度、手を休め優しい眼差しでゆっくり一人一人の話を聴き続けます。
これぞ傾聴ボランティアのお手本、直に学ばせてもらいました。

4日目最終日は、大街道道路脇の花壇の整備と草取りをし、昼食はシスターお手作りの美味しいチャーハンを頂き帰路に就きました。
帰り際、スタッフのみなさんが着慣れたお揃いのTシャツ姿で「またね」と言って大きく手を振って下さいました。そのTシャツのうしろには、このように書かれていました。
2011.3.11 Always be with you.
(甲府教会 木村正子)

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震災から間もなく3年9カ月。
記憶の風化が心配される中、教会をあげて遠くから来て下さることに、心から感謝です。
末永いお付き合いができますように…
 

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ボランティアさんからの便り

いつもご支援ありがとうございます。

台風19号が去り、大荒れだった仙台市内もくっきりとした青空が広がっています。
仙台教区サポートセンターがあるカトリック元寺小路教会の前はイチョウ並木になっており、ギンナンが歩道いっぱいに落ちていますいちょう

8月に米川ベースでのボランティア活動にご参加下さった、東京の暁星中学・高等学校の生徒さんから、体験談をお送りいただきました。春休みに続き2回目の参加となる方も、初めての参加の方もいらっしゃいました。
被災地やベースでの様々な出会い、活動を通して、たくさんのことを感じて下さったようです。

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今回は2回目のボランティアでした。
海外から来てくれている人がとても多かったです。スペインから来た日本語がペラペラな人と、その人の親友で日本語が全く喋れない人、上海からの留学生、などとてもバラエティに富んだメンバー構成でした。海外から飛行機やバス、電車を乗り継ぎ、またボランティアを続けることはとてもお金がかかります。しかし、彼らは非常に長い間ボランティアとして滞在し、人一倍働きます。国境など関係なく、困っている人を助けよう、という彼らの心意気や人柄を尊敬しましたし、日本人として、彼らに感謝しました。僕も彼らのような素晴らしい人間になりたいと思いました。


南三陸町災害ボランティアセンター前に集合したボランティアさんたち。

一方、今回の僕は、2回目だから、と心に持ってはならない余裕を持ってしまいました。そのせいで、目上の人への話し方が悪く、失礼だったと思います。例えば、以前行った仮設住宅を訪問した時に、4月に来た自分の名前を覚えてくれていたり、『私の孫』と言われたりして、調子に乗って、自然と砕けた話し方になってしまいました。そのことについて、住民の人たちは何も言わなかったけれど、どう思っただろうか、敬語ではないことに対し、怒りを覚えただろうかと思い、申し訳ない気持ちになりました。自分の態度一つで、学校はもちろん、先生、他のボランティアや、ベースのスタッフの人たちに迷惑がかかる可能性もある、と学びました。とても反省しました。次に行く時は敬語を身につけて行きます。
また、いろいろな国籍の人や職業の人がいたので、自分の知らない世界を多く学ぶことができました。その一つとして7月まで先生だった人に、人としての在り方を教えてもらいました。彼は先生という職業、学校とは何か、自分とは何か、などあまり普段は聞けることではないことをたくさん話してくれました。とても感謝しています。
お盆前、お墓の周りの刈られた草を集めるボランティアの時に、住職の方が、『最近の近隣の人たちはいくらお金を払ってもこのような仕事はしてくれません。ボランティアの方々には本当に感謝しています。』と言っていました。そこの寺は津波で流されてしまい、仮設を寺として使っていました。『ボランティアは大変だが、間違いなくやらないよりはやった方がいい、自分が困っている人の為にできることは東京にいることではなく、現地で活動することである』と自分の考えをまとめることができました。
とても学ぶことの多かった五日間でした。学んだことをしっかり、必ず身につけたいです。
(T.Y)



今回のボランティア活動で強く感じたことは「つながり」だ。これまでボランティア活動をしたことがなかった僕だが、今回はたくさん働いて、たくさん手伝おうという心持ちで被災地へ向かった。しかし現地では最初、スタッフさんにこの活動では被災者に寄り添うことを大事に活動していて、何かをしてあげる、という上からの立場ではなく、あくまでもお手伝いをしながら、寄り添うのだと説明を受けた。働いてみても、実際、自分では達成感があっても大した結果にはならず、逆に飲み物の差し入れを受けるといった恐縮することの方が多かった。
僕は3日間活動をしたが、初日は祭の手伝いをした。ボランティアと聞くと被害を受けた人や物についての活動だと思っていたので、このような仕事があることに驚いた。活動ではのぼりの組み立てと刈り取り済みの草集めをしたが、満足のいける結果ではなかった。しかし、祭が行われる商店街の方はとても喜んでくださったので自分も嬉しかったし、最初に受けたスタッフさんの説明の意味も分かった気がした。
2日目、漁業支援でカキの洗浄作業を行った。まず、海から上げたカキから海藻などを取り除き、カキどうしでもくっついているのでそれをはがし、再びできる限りきれいにするという作業であったが、最初は非常に難しかった。やっと終わる直前にコツがつかめてきて、心残りがあるまま帰るという結果に。最後に洗浄工場の方が、「被災地と言っても、もうこんなに地元の人は元気だから、それをご家族にも伝えてほしい。」ということをおっしゃっていた。
ボランティア最終日、お茶っこサロンと呼ばれる、仮設住宅に住む人々とお話をする活動をした。お年寄りの方が多かったが、話が進むにつれ分かった歳は思いがけないものだった。皆さんとても元気で、その場が騒がしいほどだった。

ベテランボランティアさんに見守られての作業。


慣れるまではちょっと難しいようです。

ボランティアはただ作業をしに行くのではなく、地元のお手伝いなどを含め、活動を通じて被災した人々と触れ合う、寄り添いに行くということだと今回の活動で分かった。震災後は「絆」という言葉が世に多く広まったが、やはりこういうことなのかなとも思った。僕も被災地へ足を運び、その地の人々と繋がり合ったことで、報道などからは伝わらない現地の力強さを感じることができた。被災地へ自分が行く趣旨は何なのかをしっかり見極め、これからもコミュニケーションを大切に、また機会があればぜひボランティアに向かいたいと思う。
(K.M)



今回初めてボランティアに参加させていただきました。
3年前の3月11日の出来事の後、被災した土地に行くのは初めてだったので、3年前の地震や津波でなにがどうなって今はどうなっているのか、テレビで報道されている一部の事しか知りませんでした。
その土地に入って自分自身感じたことは、まだまだ復興の途中にあるのだな、ということでした。何度もボランティアに参加している引率の先生やベースのスタッフさんに「当時はここはがれきの山だったんだよ。」などといろいろ当時の事を教えていただいたりして、とても苦しい想いになりました。そして年々減っているというボランティアの人数。そのことについてベースのスタッフさんに言われたことがあります。

「ボランティアはよくリレーに例えられます。今ここにいるみなさんは今まで復興のために活動していた人たちのリレーのバトンをつなぐ役割をしなければなりません。だからこの活動が終わってしまってもどんどん次の人たちにまだ復興が終わっていない被災地の状況を伝えていってください。被災地の方々が本当に怖いと思っていることは忘れられることなんです。」

この言葉を心に留め、友達や家族などに伝えていき自分自身もまたボランティアに参加したいと思います。
(K.K)












 

活動を終えて、米川教会での一枚。


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東京暁星中学・高等学校の皆さん、ご参加ありがとうございました。

感じたことをぜひたくさんの方と分かち合ってくださいますように・・・
そして、またのご参加をお待ちしています。


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ボランティアさんからの便り

いつもご支援ありがとうございます。
お待たせしました。ボランティアさんからのお便り、先日に引き続き、暁星中学・高等学校の生徒さんからの後篇です。



4月の最初の週、5日間米川ベースに滞在した。この5日間で、行かなければできない経験をたくさんした。特に一番印象に残ったのは、傾聴活動である。
2日目、チリで地震があった。津波の到達が予想されるため、3日目の海岸沿いでの作業は中止になった。しかし、僕はその日は傾聴活動に行く予定だったので、津波の影響はないだろうとなり、予定通りに朝、ベースを出発した。今考えると、このとき出発できて本当によかったと思う。車で数十分のところにある仮設住宅群。その中にある「お茶っこサロン」と呼ばれる場所で傾聴活動が行われているらしい。僕の知っている情報はそれだけで、事前に「震災当日のことは触れるな」とか「家族の話は聞いてはいけない」とか言われていたために、到着するまでは軽く緊張していた。知らないうちに相手を傷つけるようなことを言ってしまわないだろうか。不安に襲われた。でも、そんな心配は全く必要なかった。行った先の地区の人たちはみんな明るくて、話題も向こうから自然に出てくるので、自分が特に気を使うことはなかった。高齢の方が多いので話題がなかったらどうしよう、とか心配していた自分がおかしく思えるくらい話がすすんで、あっという間に終わってしまった。終始笑顔で、僕が帰るときには手をふって見送ってくださった。


南三陸町 防災対策庁舎

でも、帰りの車の中で、ふと考えた。「あんなに元気そうなのに、果たして僕たちが傾聴活動に行く必要があったのだろうか?」「行ったけれどいろいろご馳走になっただけで、何の力にもなれてなかったんじゃないだろうか?」ずっと考えていた僕に、ボランティアスタッフの方が言っていた一言が答えを教えてくれた。「被災した方々って、言葉で伝えられないくらい苦しい思いをしてるんだよね。」この言葉を思い出した僕は、そう言っていたスタッフの人に聞いてみた。何であんなに元気そうな人たちの所にボランティアが派遣されるのか。返ってきた言葉は、「被災地を忘れないため」だった。「被災した人たちは、伝えたくても伝えられない経験をみんなそれぞれにしてきた。だからそれを無理に聞こうとせずに、いつも被災地のことを考えて寄り添っている人たちがいるよ、ってことを伝えるためにボランティアは派遣されるんだと思う。」そう言われた。自分たちは忘れられていない、ということが心の支えになるのかもしれない。僕はそう考えて、できるだけ被災地に足を運ぼう、と思った。機会があったらまたおなじ場所で傾聴活動を行いたい。
(U.Y)



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ボランティアさんからの便り

いつも仙台教区サポートセンターへのご支援ありがとうございます。

久しぶりのボランティアさんからのお便り、今回は、春休みに米川ベースでの活動にご参加くださった東京の暁星中学・高等学校の皆さんからの声をご紹介します。
 

7月中旬から8月にかけて、夏休みを利用して全国のたくさんの学校からボランティアのお申し込みをいただいています。
長期の休みのたびに来てくださる学生さん、高校時代に学校の団体で参加し、卒業後にお友達と一緒に参加してくださる方もいらっしゃいます。被災地での活動が、強い印象を残していることを感じます。

今回お便りを寄せてくださったのは、高校に進級したばかり、初参加の生徒さんたちです。若い心で感じたことを綴ってくださいました。2回に分けてお届けします。


 



今回のボランティアで、僕はたくさんの人に出会いました。作業するのはそれなりに疲れたけれども、現地の人たちがとても明るかったので、楽しいボランティア活動になりました。また機会があれば行きたいと思います。

(K.E)

 


三年前、東北地方に大津波が襲い、多くのものや人が自然災害によって壊されてしまいました。僕はそれを他人事とは思えませんでした。
今回行った主なボランティアとしては、南三陸町でワカメの漁業支援をしました。手伝った家は4人家族で7歳の娘さんと3歳の息子さんを抱えたご家庭でした。まだ幼い子どもたちを抱えたお父さんを中心に家族全員で震災という現実と戦っていました。日本にはこんなに大変な仕事を毎日する人がいるとは思わなかったというほどの労働の過酷さに、なんでこんな全力でやっている人に震災なんて起きたのだろうと世の中の不条理さを痛感しました。
いつ死ぬかわからない世の中で、人に何かを無償に与えるということがどれだけ大きな力になるのか、さらに与えるではなく寄り添うことを目的としたボランティアの重要さを感じさせられました。そして、まだ復旧すらもままならない東北地方の復興を積極的に小さなことからでも支援していきたいと思いました。

(S.K)



漁業支援の様子


 

ボランティアに参加する人が、どんどん減ってきている。震災後すぐにはとてもたくさん来たそうだが、テレビが被災地について触れなくなることと同時に減っていく。被災者たちは忘れられているのか? いや、そうではない。都会にいる人々は「誰かが行くだろう」と他人に押しつけあうのだ。「面倒くさい」から行かない、という人が多いことを東京に帰り、周りにいる人たちに体験を話した時に知った。僕は一生に一度は参加した方がいいと思う。なぜなら被災地で都会では決して体験できないことを体験し、人間的にも成長できたからだ。そして、人のためになることをうれしく思える自分を発見した。ボランティアで行ったワカメの漁業支援で「ありがとう」と言われた時に、「人の役に立って、こんなに気分がいいものなんだ」と思った。
僕は人のためになる人間になりたいと思いはじめた。
ボランティアに来ている人や、ベースに常駐している人達がいる。僕は彼らとたくさん話をして、気づいた。彼らは自分の信念を必ず持っているのだ。ベースで定期的に来ている60歳代の方がいた。何でもよく知っている人で、話が面白い人だった。その人の信念は「都会で何ができるのか」だった。彼は横浜から通っている。肉体的にも辛いはずなのに、てきぱきと活動していた。このような方ががんばっているのに、なぜ若い人は都会で遊んでいるのかと思った。労働力が足りていない被災地に来るぐらいの優しさもない人々が多勢いる今の日本は、将来がダメになると感じた。もう一人、ベース長は震災の3か月後に被災地へ来て以来、3年間ずっと人のために尽くしている。彼は被災者や被災地のことを常に第一に考え行動していると思った。人のためにそこまで徹することのできる人はすごい。自分も彼のように強い信念を持ちたいと思った。



米川ベース


4/3の朝、地震が起こった。かなりゆれ、寝泊まりしているところの窓がガラガラ鳴った。とても大きな地震だと思ったが、震度は4だった。これだけ大きな地震が日常茶飯事のこの地に対し驚いた。その日のうちにチリ地震の津波が60cm来て、漁業支援が中止になった。60cmくらい大したことないと思うかもしれない。しかし、人は50cmの津波で死ぬこともあるのだ。自然災害を恐ろしいと感じた。被災地で、「この地で津波で何十人亡くなった」という石碑を見たり、津波で家が流され、家の土台しか残っていないところを見て、「死」を間近に感じた。
ボランティアは強制ではない。しかし、だからといって行かなくていい、というものでもない。僕は何回でも行きたいと思うし、いい経験になると思う。長期の休みで、ヒマができた人や、同じパターンの生活に飽きた人、もちろん(人のために)何かしたいと思う人は絶対に行ってほしい。何かが絶対に変わる。

(T.Y)


 



今年の夏休み(7月19日〜8月31日)の団体のボランティアは7月1日現在、7月末から8月上旬まで、また8月22日以降はまだ空きがあります。個人のお申し込みは、日によって男性、女性それぞれ定員に達しつつある日がありますが、全体的にまだまだ空きがあります。お申し込みはこちらから。

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ボランティアさんからの便り

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ボランティアさんからのお便り、今回は2月に石巻ベースでの活動に親子でご参加くださったボランティアさんからお寄せいただきました。
2月、石巻では数十年ぶりの大雪に見舞われましたが、雪に負けずに長野県から来てくださいました。



初めて石巻に行く、その日が来るのをドキドキしながら待っていました。そして、迎えた当日は大雪でした。幸い長野新幹線も東北新幹線も動いていて、昼には石巻に無事に着くことが出来ました。ちなみに、大宮、仙台での乗り換えは簡単で、どれだけ遠いんだろう・・と思っていた東北はこんなに近いんだと実感しました。

カフェにお客さんが見えると、いい歳をして『人見知り』な私はしばらく挙動不審な動きをしていたかもしれませんが、ベース長のシスターと一緒に初老の男性Aさんのお話をお聞きしているうちに、優しい響きの東北訛りが聞き取れるようになり、会話も弾んできました。(途中何度かお互いに相手の言葉を聞き返すやり取りもありましたが。)

Aさんが私達親子と東京から来た男性を近くの海沿いの地域に車で連れて行って下さいました。ベースから車で5〜6分走っただけで、外の景色が荒涼とした感じに変わってきました。
Aさんが車をとめて「あれが門脇(かどのわき)小学校だ」と指さした先を見ると、雪が吹き付ける中おぼろげながら見えたのが「すこやかに育て心と体」という看板と、シートを掛けられた校舎でした。恥ずかしながら、どのように被災したのか知らなかった私は、後でベースにあった記録集と写真集を見て愕然としました。そこでは津波から避難された地域の方々が、その日の夜に起きた大爆発と火事により大勢亡くなられたこと、その火がやっと消えたのは数日してからだったとのこと。今現在も『門小』の児童は中学校に間借りしている日々が続いているなど、この地域の方々の心や体、日常生活に消せない傷を残しているように思われました。それは、そこに行ってみないと知り得ないことでした。



雪の中の石巻市立門脇小学校

言葉にならない、まとめることの出来ない思いをグルグルと巡らせながら一日目を終えました。
そして2日目は記録的な大雪となり、力一杯雪かきのお仕事をさせていただきました。
今回の私のめあては「被災地の状況を知る」ことでした。その地に行って初めて知る、感じることが幾つかありました。そして石巻と、そこに住む暖かい人たちがとても好きになりました。次回はもう少し自分らしさを持って伺うことが出来れば、と願っています。
(長野県 40代 女性)
 
 
今回初めて石巻に行かせていただいて、私はたくさんのことを学ぶことができました。石巻ベースに着くまでに、どれだけ今回の震災の爪痕がひどく残っているのか、緊張しながら辺りをみていましたが、景色を見る限り私の想像していた風景はありませんでした。本当に自分にできることがあるのか不安にもなりました。

ベースに着いてから、ベース長ともう一人のボランティアの方が迎えて下さいました。コーヒーやお茶菓子の出し方を教えていただいた後、緊張の中にさっそく私達にとっての初めてのお客さんが来ました。そのお客さんはAさんという方でした。私は人と話すことが苦手ですが、Aさんのお話をお聞きしているうちに、ぽつりぽつりと、あの震災の時の話をしてくださいました。もしかしたら思い出したくない話だったかもしれないけど、ボランティアで来た私達のために話してくださってとても嬉しかったです。

そんなAさんが、実際に被害を受けた『門脇小学校』というところに連れて行ってくださいました。車の中から門脇小学校を見て『実際にここであの3.11の時被害にあって亡くなられた方がいたんだな』と改めて感じました。その道の途中でも甚大な被害を受けた日本製紙の工場や、震災直後も人々のために手書きの新聞を書いて配った石巻日日(にちにち)新聞の建物を車の中から見ることができました。その時になってやっと石巻はそんなことがあった所だったのかと感じました。

その後もサロンでお客さんのお話を聞き、一日目の仕事は終わりました。その日は緊張もあったせいか、どっと疲れが出て朝までぐっすり寝てしまいました。


長野からのボランティアさんもびっくりの大雪

そして2日目の朝ものすごい衝撃を受けました。石巻では大正時代以来(91年ぶり)の記録的な大雪が一晩の間に降り積もっていたのです。朝のお祈りを終えた後、スタッフのシスターにさっそくベース周辺の雪かきを頼まれました。雪かきを甘く見ていた私には、とても大変なものでしたが、息をゼーゼーさせながら雪をかいていた時、通りがかりの人に『ご苦労様です!』と言われると俄然やる気が出ました。雪かきの大変さを思い知りました。

 

お昼を食べた後、大雪の影響で急きょ帰ることになりました。最後にスタッフのシスターに『今度また一人で来ます!』と約束し、お別れしました。
この二日間で私は普段絶対経験できないことを体験させていただきました。大震災が起きた当時、中2だった自分から今に至るまで、テレビや新聞の中でしか知らなかった震災に関わるいろんな問題について、行ってみないと分からないこともあるものだと思いました。
事前にいろいろと教えて下さった篠ノ井教会の方々、私が勝手について行ってしまって迷惑をかけてしまった母にも深く感謝しています。本当にありがとうございました。
 
(長野県 10代 女性)


ご自宅に帰ってからも、親子で石巻での体験を分かち合っておられることでしょう。
「また来ます!」という言葉はスタッフの励みにもなっています。

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(被災地の様々な情報もご紹介しています。)
 

 

1万人目のボランティアになって

いつも仙台教区サポートセンターへのご支援ありがとうございます。
4月30日付の記事で、サポセン開始以来のボランティア数が1万人を突破したとお知らせしましたが、
その記念すべき1万人目のボランティアさんから手記を寄せていただきました。


「1万人目のボランティアになって」

このたび、東北のサポートセンター開始以来、1万人目のボランティアということで寄稿させていただくことになりました、村松と申します。
 これまで米川ベースに2012年3月から10回活動に参加させていただき、つい先日のGWで1万人目のボランティアの知らせを受け、ただただ驚いています。(ベース長が驚かそうと発表したため、怒られるのかと思いました笑)
 震災当時、留学生の友達は次々と国に帰り、日本を離れていきました。「日本は危ない、日本を離れなよ」などと色々言われましたが、実際に自分の目で見ないと何も言えないと思ったのがきっかけで、ボランティアをすることになりました。
 遡ること、2年ちょっと前に初めて被災地ボランティアへ大学の友人3人と参加し、米川ベースに通い始めました。当時は、震災から1年経つ直前でボランティアの数も当然今より多く、町はところどころに瓦礫が山積みになっており、津波によって被害を受けたスーパーや病院などもまだあり、殺伐としている印象がありました。
 その中でも、南三陸町にあった「サンポート」というスーパーの瓦礫撤去をやったのが1番忘れられないです。スーパーなので、埋まっている・落ちている瓦礫で何の売り場か分かり、震災後、手つかずのフロアをカリタスで任されることがありました。1年近く経っていましたが、当時のまま海水が残り、ゲームセンターの大きなゲーム機も倒れ、どこかの子どものおつかい用のお財布など、大小さまざまな瓦礫で溢れかえっていました。その時は、ここにいるメンバーで瓦礫を仕分けてキレイにすることに手一杯で、あっという間に時間が過ぎましたが、今思い返しても凄まじい光景だったと感じます。あの時のままの光景1年近く経っても残っており、その1か月半後に来たときにはサンポートの作業は全て終わり、解体の準備が始まっていました。


南三陸町災害ボランティアセンターの前での1枚。

 活動は体力的にも精神的にも初めてだったためか、大変に感じる時もありましたが、米川ベースで過ごす時間が楽しくて仕方なく、様々な年代の人とも良い意味で壁を感じずに交流できるのも新鮮でした。合宿のような雰囲気で、米川ベースは多くの人と再会し、また新しい人と出会う場所となっています。活動で知り合う漁師さんや仮設で出会った子どもたちも覚えていてくれると、来てよかったと心から思えますし、ベースの常駐スタッフさんからも行くたびに「おかえり」と言ってもらい、また来たくなってしまうのだと思います。
 東北に行ったことがないなら、1度は自分の目で見たほうがいいと思います。実際に足を運んでみると、報道されない課題があることもわかりますし、東北が身近になることが復興に繋がると私は思っています。活動中も自分は微力すぎると思うことも多々ありますが、今は米川ベースと南三陸町の人に会いたくて行っているほうが大きいです。社会人1年目で、学生の頃のように長期では行けなくなってしまいましたが、今後も東北には足を運んでいきたいと思っています。


南三陸町のシンボル、モアイ像と。



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石巻、米川ベースでのボランティアのお申し込みは
こちら

 

ボランティアさんからの便り

いつも仙台教区サポートセンターへのご支援ありがとうございます。

ボランティアさんからの便り、第2回は、米川ベースでの活動に何度もご参加くださっている方からのお便りです。


 
私が初めて南三陸町でボランティア活動に参加したのは、去年の六月でした。当初は、今さらボランティアに行って良いのだろうか、と後ろめたさを感じていました。あの日から二年。安穏と暮らしていた私にお手伝いできる事があるのだろうか、と緊張と不安でいっぱいでした。


最初の活動は漁業支援でした。網切りというもので、網に結ばれている紐をはさみで切っていくという作業です。津波で網を流されてしまった漁師さんに届いた支援品です。網を切らないよう固く結ばれた紐を切っていく作業はなかなか大変でしたが、分からない所は漁師さんが親切に教えて下さり、時間を忘れて作業した記憶があります。最初緊張していた私も、休憩中に同じボランティアさんとお話ししている内に心が解れて、活動が終わる頃には漁師さんの冗談に楽しく笑っていました。




南三陸の海を前に 活動の合間の一コマ


南三陸町を何度か訪れるうちに、地元の方々とお知り合いになりました。お茶っこの活動に参加させて頂いたある復興商店街に行くと、地元の方が、いつ来たんだーと名前を呼んで下さる。漁業支援で訪れた事がある漁師さんのお宅に行くと、山形に今度はいつ帰るの、と覚えていて下さる。そして、時には震災当時の話をして下さいます。その度に、震災が三年前の事でなく、“今”なのだと改めて感じます。


これからも南三陸町に行こうと思います。今では、南三陸町の海を見ると戻ってきたと思う自分がいます。出会った方々のご縁を大切に育んでいきたいです。

(山形県 女性 30代)


 


自分のことを覚えていてくれる人がいるということは、嬉しいものですね。

仙台教区サポートセンターでは、ボランティアにご参加くださった方からの体験談を募集しています。
字数の制限はありません。何度もご参加いただいているリピーターの方、初めてご参加くださった方、活動期間が短い方も長い方も、ぜひお寄せください。

 
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皆さまからの生の声をお待ちしています!


 

ボランティアさんからの便り

 いつも仙台教区サポートセンターへのご支援ありがとうございます。

 カリタスジャパンブログではこれから、活動にご参加くださったボランティアさんからのお便りを掲載していきます。実際に被災地へ行き、活動した方が何を見てどう感じたのか、ぜひこのブログを通して多くの方々と分かち合えたらと思います。

 第一回は、3月に石巻ベースでの活動に初めてご参加くださった方からのお便りです。


 
 
 3月28・29日に、カリタス石巻ベースにてボランティア活動をしてきました。
 石巻駅に着くと、震災から3年が経っていることもあって、大型スーパーやディーラーが立ち並び、一見何の変哲もない穏やかな街並みに見えます。ベースに着くと、地元の方にお茶を出しながらお話を聞いたり、一緒に料理をしたりととても心地よい時間がもてました。


 
震災から3年が経った石巻市


 
 

 ところが、近所の花壇を手入れしようと出発した道すがら、家の軒先を歩いていると、どの家も基礎が真新しく、野原に生える草は根元が不自然な方向にうねっているものが目に入ってきます。ベーススタッフに話を聞くと、震災の時は1メートル以上水が溜まり、3日も抜けなかったこと、遺体やがれきが散乱する中、ごみ袋を履いてあたりの様子を見に行ったのだと教えてくれました。


 ベースに来るご近所さんは、井戸端会議をしながらとても明るく石巻の方言やお孫さんの話をしてくれました。中にはご家族を亡くされた方、家が全壊してしまったという方もいましたが、日々のささやかな幸せを大切にして過ごしているのだと感じました。
 私の訪問にも、スタッフの方が「ボランティアさんが来てくれると、忘れられてないんだーって嬉しくなるんですって。」と皆さんの気持ちを代弁してくれました。3年経ったからこそ、徐々に薄くなっているように見える津波の痕跡ですが、その分「前を向かなくてはいけない。」という心の底にあるしんどさが際立っているように思います。
 実際に訪問したことで、何かをしてあげようという思いではなく、同じ日本に暮らす家族として、手紙を書いたり、交流を持ったり、時にはこちらに遊びに来る機会がもっと増えていけばいいのかと漠然と思いました。

 

 津波で全校生徒108人のうち74人が犠牲になった石巻市立大川小学校
 
 
 

 お世話になったベースを離れた後、津波の被害が多大だった大川小学校や女川町にも足を運びました。高台に建てられた仮設住宅と、どこまでも平地が広がっていて、賑やかだった震災前を思わせる活気は今も戻らないままです。ご遺族の中には、義援金はあっても家族を失った喪失感から抜け出せずにいる方もたくさんいます。そんな中でも、「東京でもあの日は大変だったんでしょ?」と気遣うタクシーの運転手さんの言葉を聞いて、この3年間の復興は地元の人の底力で着実に進んできたのだなと感じました。
 微々たることかもしれませんが、これからも“なにができるだろう”と考え続けることが復興の後押しになるのかもしれません。

 
(神奈川県 女性 20代)
 

 
 仙台教区サポートセンターでは、ボランティアにご参加くださった方からの体験談を募集します。
 字数の制限はありません。何度もご参加いただいているリピーターの方、初めてご参加くださった方、活動期間が短い方も長い方も、ぜひお寄せください。
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